一度も愛したことがないよりは、愛して失った方が、どれほどましなことか。

おはようございます。

愛してるよって恥ずかしげもなく言える紀州のえせ坊主、ぼんさんです。

日本人って「愛してるよ」って言えないんですよね。

恥ずかしくって。

私も最初は恥ずかしかったのですが、いつも言っているうちに慣れてしまいました(笑)

今では、普通に、

「今日もきれいだね」

なんて言えちゃいます。

ただ、本気で言っているようにはおもわれないんですよね。

ある意味挨拶みたいなものになっちゃってますから。

この言葉に何を思う?

一度も愛したことがないよりは、愛して失った方が、どれほどましなことか。 アルフレッド・テニスン

愛したことがないというのは、ほんとに寂しいものです。

確かに、愛して失ってしまう経験をすると失うのが怖くて愛することができなくなるかもしれません。

でも、誰かを愛しているときって、たぶん最高に幸せな時だとおもうんです。

何かしてあげたいと思うし、どうすれば喜んでくれるかな、これって気に入ってくれるかな?

なんてことばかり考えて、めちゃくちゃ頭を使うんですよね。

頭は使わないと腐っていきます。

この人のためにこんなことをしたいなと考えている時点で、すでに愛があるといえるでしょう。

LOVEさえなければ、PEACE

で愛があるから争いがおこるというのを紹介しましたが、この世の中、愛があるから生きてられるとも思えるんです。

愛のない人生なんてまさに、夏休みのない8月のようですから(笑)

アルフレッド・テニスン

1809年8月6日 – 1892年10月6日
ヴィクトリア朝時代のイギリスの詩人。美しい措辞と韻律を持ち、1855年『Maud』、1859~64年にかけてアーサー王伝説に取材した『国王牧歌』や哀れな水夫の物語詩『イノック・アーデン Enoch Arden』(1864年)、『Locksley Hall Sixty Years After』(1886年)を発表し、1884年にはテニスン男爵に叙せられた。1889年の短詩『砂州を越えて Crossing the Bar』は辞世の歌として名高い。

引用元: アルフレッド・テニスン

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